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青字になったところをクリックするとHMVでBACHのCDが買えるよ不本意ながらwすんませんでしたね。
興味があったら買ってみたらいいよ。
続きは、、、、、、えーと、、、、、そうそうわたくしの音楽的冒涜をここで食い止めなければならない。
これはなかなか強力ですからね、戦前の共産党のアジアでの拡散の様に危険なので、大和魂があるならばここで食い止めなければなりませぬ。それがアジアと我が心の開放、真の勝利への道筋にございます。
そしてそして……
なんかよく考えたら、今好きな音楽、クラシック音楽しか出てこなかった。
小学校の音楽室で聞かされるようなやつです。
その次はアニソンと初音ミク他ボカロでした。
そのつぎは、スラッシュメタルバンド「スレイヤー」でした。
わたしのお部屋のクラッシュやらニール・ヤングやらにはさまれたベートーベン先生やバッハ先生、マーラー先生やストラヴィンスキー先生、ラヴェル先生、ラフマニノフ先生、ロッシーニ先生。
よくわたしは耳にするんだが、クラシックミュージックは年とってから聴きたいと言うが、聞きたいなぁと思うあなたは今すぐ聞いたほうが良いと思うよ。あとポストクラシックとか聞くんだったら、オリジナルといってよいか分からないが、古典的なクラシック音楽も併せて聞いた方がよいと思う。ポストの良さがより伝わるんじゃないかと思う。イコールあなたの音楽体験がより深まると思うんだけど。
そんな訳で、深く語れるほどの知識も教養も備えてはいないのですが、わたくしはLudwig Van Beethovenが大好きなので、一番に挙げたわけDEATH★
なんといいますか、わたくしは、目に見えない製作者の枯渇し希求した精神から生み出された音楽には聞き手にもその精神が伝達するように思われて仕方ない。
それが心を動かしたり、ハンマーで殴られたような錯覚を起こさせたりするのではないかと思う。
カート・コバーンのあの声、カッティングギター。
ジャニス・ジョップリンのあの声には稲妻の様な痺れを感じます。(パールってアルバム聞いた事ありますか?)
魂を削る声とか良く聞くけれども、わたくしはそうゆう神秘性を信じている事を発見したのです!そしてそうゆう精神性を感じさせない音楽はあんまり面白くないと思ったりする。生意気ですが。
多くの音楽商品は時間と共に消費され、一部の音楽マニアにウケて時の経年劣化に埋もれていってしまうと思うのでした。そこを末永く愛聴していくのがマニアの醍醐味か。
わたくし一人が愛せばよいという様な音楽もたくさんあるけれど、先ほど申し上げたような精神性を付与された音楽ならば数百年鳴り響いて欲しいと願わずにはおれないでしょう。
(わたしがマニアックに愛している音楽をご紹介しますとサブポップのエリックストリップ。ソニックユースの楽曲名とバンド名がおんなじだし、聞いててヒリヒリする。ティンダースティックスの1stアルバム。敗戦間際のナチスの喧騒のような音楽と評価しております。)
そんな訳でクラシックミュージックにおいて今のところBeethovenは最強であります。
特にわたしは「第9」が好きでほとんど鼻歌で歌えるほどです。
鼻歌で歌えるイコールわたくしなりの聞きたい演奏イメージが明確なので、好きな指揮者やオーケストラや演奏年による違いが、一目瞭然、一聴瞭然。
よく聞いたもんだと我ながら関心しますが、そこまで聞かせる音楽にはどの場面を聞いても音符には役割があり、メロディーにはメッセージがあり、メロディーが重なるとより複雑な意思や情景が想起されていく。イコール作曲者の喜びも悲しみもわたくし次第で時を越え、憑依し恋の地獄へも光の世界へも導いてくれる。
魂の状態までもが音楽になっていくと思わされる。
わたくし岩波文庫のBeethovenの伝記を読んだり、映画の「不滅の恋人」も見た。主演のゲイリー・オールドマンが苦悩し、歓喜するBeethovenを演じてくれて、涙なくしては見れない内容だった。否がおうにも親愛さは増していっている。
わたしのそばにルドヴィヒはいつもいる(いてくれたら良いなぁと思っている)そんな感じに親愛しているので、ルドヴィヒが生涯の最後に生み出した「第9」はBeethovenの辞世の句。聞き手は何を受け取るのか、何を見出すのか。
またオーケストラの演奏者は何を見出すのか。探求し続ける価値がより深く存在する音楽だと思う。
なのでゆくゆくはわたくしクラッシックの演奏者になりたいですわ。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、希望の光が今!!書きながら射した!!
さすがBeethovenだな(歓喜)
思えば、古品倉庫のダンボールの中でカビの生えた「第9」のレコードを100円で買ったいつの日か忘れてしまったあの日の午後。
不謹慎にもベットでうつらうつらしながら、ところどころ音飛びをするレコードから流れてきたあのメロディ、メロディ、メロディ!夢の中で聞いた絡まる旋律にわたくしは目が覚めたのでした。
あの日から、随分遠くまで来たなぁ。
多くの人が愛する一曲ですから、思いは人の数だけあるんだろうけれども、わたしはBeethovenが生涯の一つの答えとし、聴衆に!不滅の恋人に!届けと生み出した音楽にわたしなりの光をいつも見出したい。
魂を刻んだ音楽の一つだと思います。
以下Beethoven先生が不滅の恋人に宛てた手紙の和訳の一部。愛してるよ親愛なる---。
七月六日、朝――
私の天使、私のすべて、私自身よ。――きょうはほんの一筆だけ、しかも鉛筆で(あなたの鉛筆で)――明日までは、私の居場所ははっきり決まらないのです。こんなことで、なんという時間の無駄づかい――やむをえないこととはいえ、この深い悲しみはなぜなのでしょう――私たちの愛は、犠牲によってしか、すべてを求めないことでしか、成り立たないのでしょうか。あなたが完全に私のものでなく、私が完全にあなたのものでないことを、あなたは変えられるのですか――ああ神よ、美しい自然を眺め、あなたの気持ちをしずめてください、どうしようもないことはともかくとして――愛とは、すべてを当然のこととして要求するものです。だから、私にはあなたが、あなたには私がそうなるのです。でもあなたは、私が私のためとあなたのために生きなければならないことを、とかくお忘れです。もし私たちが完全に結ばれていれば、あなたも私もこうした苦しみをそれほど感じなくてすんだでしょう。――私の旅はひどいものでした。きのうの朝四時にやっと当地に着きました。馬が足りなかったので、駅馬車はいつもとちがうルートをとったのですが、まあなんともひどい道でした。終点の一つ手前の宿駅で夜の通行はやめた方がよいと言われ、森を恐れるように忠告してくれたのですが、それはむしろ私をふるい立たせただけでした――でも私がまちがっていました。もし私がやとったような二人の馭者がいなかったら、底なしにぬかるんだ、むき出しの田舎道のために、きっと馬車がこわれて、私は道の途中で立ち往生してしまっていたでしょう――エステルハージ(侯爵)は、別の通常ルートをとり、馬八頭で同じ運命にあた由、私の方は四頭立てだったのに。――とはいえ、幸運にも何かをのりこえたときいつも味わうような、ちょっといした満足を覚えました。――さて、外面的なことから本質的なことにもどりましょう。私たちはまもなく会えるのです。きょうもまた、この二、三日、自分の生活について考えたことをあなたにお伝えできない――私たちの心がいつも互いに緊密であれば、そんなことはどうでもいいのですが。胸がいっぱいです。あなたに話すことがありすぎて――ああ――ことばなど何の役にも立たないと思うときがあります――元気を出して――私の忠実な唯一の宝、私のすべてでいてください、あなたにとって私がそうであるように。そのほかのこと、私たちがどうあらねばならないか、またどうなるかは、神々が教えてくれるでしょう。――あなたの忠実な