人生は果てしなく「続く」のか。
今日は昨日の続きです。今はさっきの続きです。明日は今日の続きです。
死を迎えるその日まで。
今日なんて日は「地球よ、割れろ」と幸せな人には申し訳ありませんが500回ぐらい思いました。いつか地球は割れてしまうと思います。
わたくしと同じく「割れちまえ」と呪った人もたくさんおりますでしょうから、罪の重さは割り勘でお願いします神さま。
ここから下は読まなくてよろしいかと思います。相変わらずのわたくしの戯言、寝言と言って良いと思います。
ミステリー小説好きな人?いますかー?
わたくしは好きとも嫌いとも言えない。
1+1+1+1+1=5とミステリーの謎を解くのは嫌いじゃないが、1+1+1+1+1=?が結構好きでプラスとプラスの間に隠れた乗算が入っていたりしてもまぁ、良いのかなぁと思ったり致します。
ちょっと偏ってみて、そもそも1とはなんぞやと七面倒くさい事を考えて組み合わせてみても楽しいかも知れないなぁ等とも思います。
結局の所、何でも文字の幻想世界へぶっ飛ばしてくれさえすればロリコン小説でも妖怪小説でも青春小説でも著者がアメリカ人でも火星人でも何でも良いのです。
まずいのはマイナスな意味でツッコミを読者にさせてしまう事かなぁと思う。
わたくしも適当で支離滅裂な日記書いてますと冷や汗が出ますし、誤字なんてしょっちゅうですから、人こと言えませんがぷふふ。
リアルな小学4年生の男の子のリアクションを想像してみて下さい。
好きなコと二人きりになった時。
たまたま好きなコと同じバスに乗り合わせたとき。
或は同級生の首吊り死体を見つけてしまったとき。
想像してみて下さい。
こりゃ小4のガキの反応じゃないなぁとか思うとわたくしは覚めてしまう。
特異な性質ならばそれなりの文字数を能えて反応の裏付けというか肉付けしとかなければならない必要がある、とわたしは考える。人それぞれの小学4年生のリアルはズレている。
そのズレを文章書きは無効化しなければならない。
小説はエンターテイメントですから、読者を文章世界へ強く誘わなければならない。
文章の重力が弱ければわたくしどもは現実へ嫌がおうとも引き戻されてしまう。
文章の重力は文章の呪術、呪力とも呼べると思えます。
文字数を駆使し、読者をいざっ!!文学の深海へっ!!文学の森へっ!!文学宇宙の果てへっ!!!何て叫びながら、ペン先をぺろぺろ舐めてる小説家がまったく愛おしいです。
また音楽もしかり。
お客さんがどっぷり浸かってしまう音世界が演出出来たらバンド野郎の何よりの喜びかと思います。
バンドがうまい下手というより何を出すのか。それが作品ということでしょう。
音楽の作品という以上再現されなければならないわけで、美味しいケーキ屋さんの様に再びあの美味しいケーキが食べたい!というお客さんを何度も魅了しなければならない。
そろそろバンドも動き始めた様子ですよ。
今年はどんなライヴやるんでしょうね。
楽しみです。