幼少のころのわたしは日がな一日雲眺めて過ごしたり雨の日に傘さして外で遊んだり一日中、絵を書いたりして過す内向的な子供だったようでそれを見ていた母はなんだか眺めていて可哀相になるといつかわたしに言いました。全然母の視線なぞ気にもせずわたしは雨の日の水溜まりに怪獣浮かべたり縁の下に寝転がって仰向けに雲がのんびり流れるのを見ていました。
ぽっかりと青空に浮かぶ雲がゆっくりと流れてゆくそばに大きな煙突があってそこからもくもくと煙が上がっていました。その煙の色が白かったか黒かったか紫色だったか思い出せません。ただ今ならわかるたんぱく質が燃焼すると発する独特の匂いが辺り一面に漂っていました。わたしはその匂いが何なのか、誰かに尋ねたことは一度もございませんが、いつの間にか知りました。煙突は近所の火葬場のもので、ある日ふと漂うたんぱく質の燃えた匂い、もくもくわき上がる煙は亡くなった人が煙になった姿だったのです。
わたしの小さな日の思い出の中で一体どれだけの人が煙になり大気へと紛れて行ったのか、今となっては知るよしもなし。ただ人は燃えて灰になるときあの様な匂いを放ち、そして今の世の中では一つの生もまるで無かったことかのように静かに秘めやかにともなわれていくのです。
生命体であるわたしたちは半分以上の構成物質が水という湿り気をおびて生きて死に燃焼するさいには独特の匂いを放ち灰になる。わたしたちは燃焼する際生命、その他も同時に焼き払い焼き捨てて消えて行くわけです。愛も思い出もぬくもりも憎しみもしがらみの全てが燃えて、わたしたちは消えたとして一体なにが地上に残るのでしょうね。一体なにが残るのか?DNAは保存した、継承した。が彼らは彼らの未来を勝手に築くのだから灰になったわたしたちは一体どこへ行き、なにが残るのか。何も残らないのか。ゼロへと回帰、それもよし。不可視の思念を地上に残留させてもよし。そんなぼくらの世界はきっと清潔な白い世界。
とゆーよーなことを考えさせる音楽。 があったんですよ、loloの音楽ではないが個人的に素晴らしい音楽、ロックバンド「凛として時雨」のアルバムを聞いたイメージ。
最近のお気に入りのバンドはみゅーと、銀杏BOYZ、オシリペンペンズ、ミドリ、凛として時雨。小突いて誰かを振り向かせるよりハンマーでぶん殴る破壊力。それがロックじゃないのかい?と思います。わたしやっぱりロックが大好き好き好き好きっ好きキス!!
BGM
凛として時雨
『nakano kill you』